小児放射線学の歩み:日本小児放射線学会のそれをふまえて
東邦大学医学部 放射線科学講座 甲田英一
(日本小児放射線学会理事長) |
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第45回日本小児放射線学会会長大塩猛人先生から上記表題で講演するよう指示をうけ、この抄録文を書くこととなった。これは日本小児放射線学会(設立当時は臨床小児放射線研究会と称していた)を設立した方々の多くが、すでにお亡くなりになっていること、学会誌が創立当初は研究会雑誌であったため、過去の冊子が図書館で保管されていないことが多いことから、誰かがこの時点でまとめておかないと歴史が消失すると、先生が賢察されたと理解している。事実、この会の創立当時のことを存命の数名の方にお尋ねしたが、断片的なことが多く、これから記載する設立当初の資料は永らく、当会の世話人をなさっていた日本大学医学部放射線科佐貫榮一先生からいただいた資料に負うところが多い1)。
日本小児放射線学会の母体となった臨床小児放射線研究会は昭和47年に設立されている。これは現在、小池賞として顕彰されている小池宣之先生が各大学へ直接働きかけた個人的な献身的尽力が原動力となった。またこの設立を後押ししたものとして、昭和44年に東京で開催された国際放射線学会でのTucker教授の講演が指摘されている。これを契機に、当時米国では放射線医学の中の分野として確立していた小児放射線学が、日本では全く組織化されていないことが周知され、当時学会の重鎮であった第4代国立がんセンター総長塚本憲甫先生、放射線医学総合研究所長(当時)御園生圭輔先生らが小池先生の提唱を支持されたことも、当時の混沌とした情勢の中で大きな力になったようである。
第一回の研究会参加者は310名で、会員として整備された昭和57年の会員数は405名であった。会員の分野別内訳に関する資料は昭和60年のそれがある。それによると、放射線科358名、内科系152名、外科系その他が128名となっている。平成20年12月の現況は、総会員数674名、そのうち放射線科医302名、内科系219名、外科系その他123名であるので、総数としての増加と、その内訳での、放射線科医の減少と内科系医の増加が指摘されよう。
発表内容で見てみると、第1-3回の総演題数は37-53演題(平均47、総数140演題)、その内訳を当時の記載で見ると、機械器具4、頭蓋5、顔面1、脊椎2、骨10、心臓・大血管7、呼吸器22、消化器21、泌尿器6、脈管10、ラジオアイソトープ19、治療17、UCG2、CT0、新生児10、障害4、その他11(一部重複する)となっている。
一方、過去3回の総演題数は56-62演題(平均58、総数175演題)、内訳は神経26、頭頚部14、骨12、心臓・大血管10、呼吸器21、消化器46、泌尿器17、脈管10、ラジオアイソトープ11、治療0、US5、CT・MRI60、新生児5、障害2(一部重複する)である。
区分には100%対応できないものもあるが、上記からは臓器部位別では神経系、消化器、泌尿器の発表が増加しており、呼吸器の発表が減少していることがわかる。方法論的にみるとその当時はなかったCT、MRIは別として、核医学検査、放射線治療の発表が減少している。特に放射線治療の発表はなくなっている。この他の大きな変化として、その当時はほとんど不可能であった胎児診断に関する発表が過去3年間で9演題と画像診断の新たな展開を見せている。
発表者をその所属別にみると第1-3回では放射線科44演題、内科系15演題、外科系5演題、共同76演題であったものが、過去3回では放射線科35演題、内科系20演題、外科系28演題、共同92演題となっている。
これらから放射線科単独での発表が減り、内科、外科系単独での発表が増加していることがわかる。
以上日本小児放射線学会の歩みを簡単に記載したが、来る学会では北米を中心とした小児放射線学会の歩み、小児放射線学の進歩の紹介と、小児放射線診断のパイオニアであるCaffey先生の遺品展示を行う予定である。
文献
1)榊原聡彦、鎌田力三郎:臨床小児放射線研究会のあゆみ。臨床小児放射線研究会雑誌 1985;1:4-9
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